自担の好きなところ
私の担当は今をときめく超人気グループSnow Manの佐久間大介くんです。
ファンになったきっかけは以前の記事にちらっと書いたのだけど↓↓
佐久間くんのダンス、歌、仕草、
パフォーマンス中の佐久間くんは本当に凄い。
何が凄いかと言うと、パフォーマンスで手を抜いている箇所が一つもない。
人間なので疲れたとかしんど…とか一瞬でもパフォーマンス中に思うことは必ずあると思うし、実際にどこかのタイミングで一息ついているのかもしれないが、それを見せない。故に私からすると全く手を抜いていない。そう見せることができているのも凄いパフォーマンス力だと思う。
もちろん完成度というものはとても大事ではあるけど、例えば自分のパートの歌詞を飛ばしたとか、振り付けを間違えたとか、それがない!という訳ではなくて。
現に音楽番組の出演後、ツイッターを見ると「さっくん振り間違えてたね」というツイートが目に入ることもある。
(ただ、私は自担しか見ていないので周りと違う動きをしていた(=間違えてた)ということには気付けないので実質彼にミスはない。(?))
以前、Snow Manの3rdシングル「Grandeur」のダンスについて、最後の腕をクロスにして挙げる振り付けが佐久間くんだけ左右逆だと誰かが書いていたので、確認してみようと思ってMVやダンス動画を見たけど、結局佐久間くんしか見なかったので他と違っているのかわからなかった。
めちゃくちゃ逆や
というわけで(?)
ミスなどは誰しもあるので自分的評価の対象ではなくて、いかにそう見せないかとか咄嗟の修正力とか、そうでなくても“ミスした”ということを超えるダンススキルの高さ・ヲタク特有の言い方でいう表情管理が大切だと思っている。
それでいうと佐久間くんのパフォーマンス力は同事務所タレントの中でも上位に入れると確信している。
佐久間くんの衣装はダボッとしたアウターが多いので、基本的に曲中1回以上ははだけさせてくれる。
それももちろん激しく踊っていたからはだけてしまった、ではなくて、自らここぞという時にパフォーマンスの一つとして。
以前音楽番組でのパフォーマンス中に自分の手でサッと上着をはだけさせる佐久間くんが映っていて無言で暴れた記憶があります。あれは本当に天才だった。
PPPダンス動画のラスト・それからBlack Goldのダンス動画で披露している、被っているキャップを口に咥えてるという動き。
「他担狩りの佐久間」と呼ばれる所以はこういうパフォーマンスをサラリと、めちゃくちゃ自然にやるところだと思う。
ある時のシブヤノオトSnowManリクエストLIVEでは、星柄のシャツをパンツにインしたジャケットスタイルでのパフォーマンスだったのだけど、Crazy F-R-E-S-H Beat披露の際、佐久間くんの天才的な動きが見れた。
佐久間くんの見せ場「隠したところも見せてDesire」にて、いつも、そしてこの時も佐久間くんは服を持ち上げて腹筋を見せてくれるのだけど、
上にも書いた通り、この日佐久間くんの衣装はシャツをパンツにインしている。
そしてこの自分のパートがくる直前、少し前かがみの体勢でセンターへと向かってくる最中
これ、動画でよーく見るとなんとなくわかるレベルではあるけど、この最中に佐久間くんはインしているシャツをパンツから引き出している。
時には配信コンサートの最終日には、前開きシャツのボタンをバッッと勢いよく開いて腹筋を見せてくれた。
ライブだとテンション上がってそうなるのでは?とお思いでしょうが、ほか日時での配信ではいつも通りシャツを持ち上げるという動きを徹底していたので、最終日!!サービス精神!!!!!!と頭を抱えた。
(もちろんテンション上がっての行動だとは思いますが。)
それから2021年の誕生日、CDTVの生放送でHELLO HELLOの後奏でフィーチャーされたソロダンスタイム。いつものダンスよりなかなかにはっちゃけたパフォーマンスをしてくれたのは、誕生日だから本人のテンションが上がっているということももちろん大いにあると思うが、ヲタクにとっても特別な一日にしてくれたのだと勝手に感激した。
上記以外にもしぬほど素晴らしいパフォーマンスは多々あるのだけど、逆に言えば数え切れないほど、挙げきれないほどそんなパフォーマンスがあるのが佐久間くんの大きな魅力なのです。
私はダンス経験は皆無でなんの知識もないので、早取りだとか遅取りだとか、ダンスの一つ一つの動きの名称などは何も知らないけど、そんな自分でもすごいと思えるダンスをするのだから、それはもう間違いなくすごいのよ。
彼のダンスは、中には「動きが大きすぎる」とか「(動きが)うるさい」と感じる人もいるみたいだけど、いつだって全力のパフォーマンスをしてくれるという部分は私が担当に求める大切な要素なのだと、佐久間くんを好きになって気づいた。
パフォーマンスが最高な人を推すって、ええぞ〜。
わたしのジャニヲタ遍歴・後編
ジャニヲタって楽しすぎる
2014年
映画を見たそのあとすぐ、わたしはヒロ役 橋本良亮くんのことを調べまくった。
A.B.C-Z…知ってるぞ、、こんなかっこいい人いたっけ!?!?!?!!!
ということで即ファンクラブに入ろう!コンサート行きたい!
とはなったものの、当時まだA.B.C-Zのファンクラブは設立されておらず、メール会員になった。
そして彼らの舞台が決定しており、すでにメール会員での先行応募は終了していたが、別の方法でもまだ入手出来るようだったのでそれで二階席のチケットを入手した。
(一般ではなかった記憶があるので調べたら帝劇ハガキ応募と書いているブログがあったので、恐らくそれだったと思う。)
今までは地元である関西での公演と、鈍行でナゴヤドームに一度行ったことしかなかったため、ファンになり切ってもいないのに人生初の東京遠征だった。
そしてわたしはこの経験で、東京へ来るのも(時間や料金が)こんなもんなんだ、と知った。
eighterである相方にも、自分の気持ちは今もう橋本良亮くんに向いているということを伝えて、理解してもらいつつ同時にA.B.C-Zを宣伝した。
デビュー前から自担一筋だったという相方も、そろそろ本当は降りたい…という気持ちがあったらしく、(その気持ちはわたしにはよく分からなかったが)
相方にA.B.C-Zを推しているうちに相方にもときめく人が見つかった。
結局、A.B.C-Zを生で見た興奮により、正式に担降りすることを決意した。
人生で多分一番ヲタクらしいヲタクをした
夏のコンサートが決まった。
メール会員なので、学校の友だちにも協力してもらい、チケットを複数入手して参戦した。
これまた人生初のホール公演だった。
Summer Concert 2014 A.B.C-Z★"Legend"
わたしが主にコンサートに行きだしてからはすでにドーム規模が当たり前だったので、あまりの近さに驚きと興奮の嵐だった。
さらには客席に降りてくるA.B.C-Z。一階席の後ろの方で通路横でもなかったにも関わらず、興奮のまま「はっしー!!」と呼ぶと橋本くんはこちらに手を伸ばしてくれた。指先が軽く触れた。
別の公演では、三階席でもA.B.C-Zが来た。この時は通路横だったので、別のメンバーだったがしっかりとハイタッチが出来た。
今まで、ドームで米粒のタレントを見てきた上に、コンサート自体が楽しくてファンサがほしい・こっちを見てほしいなどとは考えたこともなかったのに、このホール公演を機に、タレントを近くで見られること・目が合うことの喜びを知ってしまった。
8ESTで行ったサンドーム福井や、∞祭のステージはドームに比べてとても近くで関ジャニ∞を見られた貴重な経験だったけど、A.B.C-Zの近さは比じゃなかった。
この時、関ジャニ∞はデビュー十周年のアニバーサリーイヤーだった。
相方が十祭のチケットを取ってくれたので最後に関ジャニ∞のコンサートに入ろうということになり、二人で前日にメンカラの簡易的な帯を作り、グッズの法被を着て参戦した。
ちなみにわたしはこれまで、自名義でチケットが外れたことはないが、席運がおどろくほど悪く8割天井席だったので “54通路の女”と相方に呼ばれていた。(スタンド下段の時もたまにはあった。)
相方が当ててくれた十祭は、関ジャニ∞のコンサートで最初で最後のアリーナ席だった。
そして9月、A.B.C-Zのコンサート名古屋公演には、半分わたしの協力・半分行きたい気持ちの相方と入ることになった。
このチケットは相方が取ってくれたもので、一階席の割と前方、通路横の席だった。
先日の公演では指先が触れただけの橋本くんとも、ついに手のひら全体でハイタッチすることができた。
なんか夢みたいだった。自担に触れる日が来るとは思ってなかった。
これを機に相方もA.B.C-Zに降りた。
その後、橋本くんの初の外部主演舞台が決まった。
まだ田舎の最低賃金でバイトする薄給高校生だったにもかかわらず、初日の東京公演、大阪の公演は千秋楽も含め何度も観劇した。
舞台の制作発表会見やフライヤーなどのあまりかっこよくない未完成なビジュアルは知っていたけど、舞台初日の会見のWSを朝支度をしながら見て、完成された良すぎるビジュアルに号泣したりもした。(情緒)
そしてこの舞台の千秋楽で、わたしは新たなヲタクとしての禁断領域に踏み込むことになる。
それは、ツイッターで知り合ったマダムの同担Dさんに、ツアーの時に機会があればご挨拶したいです〜なんて話していたものの、タイミングが合わずじまいだったその約束をこの舞台の千秋楽の日に果たすことになったからだ。
昼公演と夜公演の合間にお会いできるということになったので、近くのカフェで初めて顔を合わせた。
そこには約束をしていたDさんと、Dさんのヲタ友というEさんが座っていた。
初めまして〜という会話をしながら席に着いた矢先、Eさんが突然わたしに「いつも〇にいるよね?」と聞いてきた。
なんのことかさっぱりわからず、なんですかそれ?と聞くと、〇とは所謂出待ちのことだった。
いかんせん今までドーム規模のアイドルを見てきたのでそういう話は無知だったわたしは、へーそんなのあるんですねと聞いていたら、「今日も多分あるから来たら??」とお誘いを受けた。
それには自担への手紙が必要らしかったが、わたしは会場に設置された手紙ボックスに入れるために手紙を書いてきていたのでそれを使って〇に参加した。
より近くで自担を見ることができた
私服がはっきりと見れた
テレビやコンサートでは聞けない話が聞けた
わたしはそれのおいしさに気づいてしまい、舞台があるときは参加するようになった。
ただ、舞台は観劇しないのにそれだけは参加するのはあまりよくないとか聞いたこともあったので、ちゃんと観劇したときだけ行った。
一度舞台ではない仕事の入り待ち出待ちにもEさんからの情報で参加した。
舞台の時とは違い集まったヲタクも十人前後だった。
手紙を渡したことがない人はいるかと聞かれたので手を挙げたら、代表して渡せることになった。
緊張で言葉を間違えてしまった。自担は笑っていた。
こんなにおいしい思いができるなら別にコンサートでファンサもらえなくてもいいや〜とすら思ってたけど、ジャニーズワールドのあの有名なお見送りガチャは意地でも自担の出口を選んだりもした。(お目当てを引きたいヲタクたちが出口を必死で覗いたり、あっちは○○らしい!などと情報を共有し合うあの光景は本当に異様だった。)
初めてチケットを定価以上で入手したのもこの頃だった。
橋本くんがソロコンを開催した初年は悪夢の激痩せモードだったのでほぼ記憶から消したけど、ソロコン二年目は初の全ステを達成した。
毎日TDCホールにいたし、毎日同担のDさんやEさんにばったり会った。
その間、感謝祭という名目のFC会員限定イベントに当選し名古屋にも行った。
最後に自担と握手ができた。剥がしのスタッフも緩く、自担とはベルトパーテーションだけの隔たりだった。
自分の言葉に対してなんか友だちみたいな返事をされたのでわたしは自担と友だちになったと思った。(?)
良いか悪いかは置いておいて、あとにも先にも人生で一番濃いジャニヲタ期間だった。
それでも良席にこだわったりすることや認知を目標とすることはなかったので、まあ普通にライトなヲタクだったはず。
あとA.B.C-Zの周りにはジャニーズJr.が常にいたので、自然とJr.のこともある程度詳しくなった。
血迷い期もあった
橋本くんがソロコンを初開催したあたりの時期。
上記の通り彼はそのタイミングで激痩せしてしまった。
わたしは彼の触ったら気持ちよさそうなほっぺがとにかく好きだったしそれも含めて最高にかっこいいと思っていたので、大好きなほっぺがなくなった衝撃に耐えられなかった。
自担への気持ちがなんともいえない複雑なものになっている時に、Hey! Say! JUMPにハマった。
今思えば本当に何がきっかけか全く思い出せないのだけど、現実逃避するようにHey! Say! JUMPのDVDを見漁り、画像とか保存しまくった。
smart のライブDVDがお気に入りだった。
本気で髙木担になろうかと思いながら一度コンサートへ行った。
Hey! Say! JUMP LIVE TOUR 2015 JUMPing CARnival
でも山田涼介くんへの歓声が凄すぎて怖くなってこれは無理だと思った。
Hey! Say! JUMPが参加した嵐のワクワク学校や、A.B.C-Zが中継で見れるかも!とHey! Say! JUMPの単独カウコンにも行った。
自担含む華の93年組の年男が見たくて2016-2017のカウコンにも行ったが大した演出もなくショックだった。
終わりのはじまり
それからしばらくして、専門学校に通っていたわたしはそこでできた友だちの影響でなんとK-POPにハマろうとしていた。
もともとK-POPの曲調が好みだったので詳しい友だちにオススメを聞き、そしてまんまとハマった。
というのも、ジャニヲタのとある交友関係に少しストレスが溜まってきていたことと、橋本担としてのヲタ活が今までの自分に比べて濃密すぎたため、熱の冷めるスピードが以前よりも早くなっていたから、なにか違う娯楽(というか逃げ場みたいなもの)を探していたんだと思う。
それでもまだ自担のことは好きだったので、ハマったK-POPアイドルの日本公演やイベントとA.B.C-Zの現場をなけなしの金で掛け持っていたのだけど、やっぱりどちらも同じ熱量で応援することは自分には出来ず、
A.B.C-Zのデビュー5周年記念ハイタッチ会を最後に、
わたしはジャニヲタを辞め、K-POPアイドルヲタク一本に乗り換えた。
しかし、K-POPアイドルのヲタクはそう長くは続かなかった。
まだ専門学生だった自分に、本国の現場に行くことは金銭的にも時間的にもできなかったのが大きい。
サイン会には一生に一度は行ってみたかったけど積めるお金はなかったので叶わなかったし、結局のところは言語の壁を越えられなかったことが一番だったと思う。
さらには、その当時ジャニーズは有料ブログにも自担の顔写真は載らなかったし(手や本人の影だけでよく沸いていた)、自担の顔が見られるコンテンツはテレビか雑誌かDVDくらいしかなかったのに対して、K-POPアイドルは毎日のようにタレント自身がツイッターに自撮りを載せたり、マスターと呼ばれるファンの高画質なライブ中の写真や動画がそこかしこに散らばっていて、逆に多すぎる供給についていけなかった。
そうしてわたしのK-POPアイドルヲタク人生は計3年ほどで幕を閉じた。
ジャニヲタへの出戻り
時は2019~2020年。
見知った二組がデビューすることを知った。
大型歌番組でデビュー曲を披露しているのを見ていた。
えっSnowMan人数増えてるやん、とも思った。
それを機に、ある休みの日、暇だったのでYouTubeを見た。
特にSnowManはBBJにも数人出演していたし、A.B.C-Zが出ていたから少年倶楽部も見てた上に、コンサートや舞台のバックにもよくついていたので馴染み深いしな〜という理由でいろんなライブ映像やダンス動画を見た。
ちなみにわたしはSnowManなら岩本照くんが好きだった。
詳しくはなかったけど、岩本くんがつけてるインナーコンクのピアスが可愛くて真似して開けたぐらい。
そして何気なく見た一つの動画で、3年ほど閉ざしていたジャニヲタの扉を再び開くことになる。
Snow Man【ダンス動画】Party! Party! Party! (dance ver.) - YouTube
え?
あれ??
めっちゃかっこよくない???
みんなやっぱ流石だねーと思いながら見ていたのに、気づいたら一人しか目で追ってなかった。
キャップの使い方とか、完璧なウェーブとか、少しズレた立ち位置を踊りながら自然に戻すところとか、
これがあの、
他担狩りの佐久間大介か…………………
今までは、顔がかっこいい!なんか好きかも!みたいな気持ちでファンになることがほとんどだったのだけど、
自分が “ 推し ” に魅せ方のうまさ、スキルの高さを求めるようになったのは、少なからずK-POPを通ったからだと思う。
ビジュアルの好みはあとからついてくる。
好きになれば何してたってかっこよくかわいく見える。
推していたK-POPアイドルだって、一人はお腹がぽよぽよしていたけどそれすら可愛かったしそれ以上に歌ってるときの表情が天才だった、もう一人はふとした時に撮られる写真でよく女の子みたいな立ち方になってたけどそれもただただ可愛かったしとにかく歌がうまかった。
このダンス動画を見たとき、今の自分にとって応援したいと思えるのは、ステージや映像で自分の最大限の魅力を引き出し、それを魅せられる人なんだなだと感じた瞬間だった。
わたしはジャニヲタに戻ることとなった。
今はひたすら、自担のパフォーマンスが見たいという理由で現場に行くし、かといって数年前ほどガチガチのヲタ活をするつもりはないのでひとつの現場に入る回数は1~3回で満足している。
ファンサなどを求めることもなく、ただ静かに双眼鏡で自担だけのパフォーマンスを見ることに集中するようになった。
社会人となった今では以前よりも当たり前に収入や自由に使えるお金が増えたが、気持ちにも余裕ができたのか無理をすることはやめた。
いつかまた自分がヲタ卒するその日まで自担が楽しく歌って踊ってくれますようにと願い、ゆるくヲタクを楽しんでいきたい。
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わたしのジャニヲタ遍歴・前編
新型コロナウイルスの襲来からはや3年。有観客ライブやイベントが復活し、快適だったグループごとの1席空け指定席も収容100%に戻り、そしてライブでの声出しもついに解禁となった2023年。
ふと自分のジャニヲタ人生を振り返って見ようと思いたった。
ちなみに思い出とともになにか写真を付けたかったのだけど、ガラケー・iPhone4Sの充電器がないため掘り起こすことはできなかった。
ジャニヲタとしてのスタートはNEWS
まずわたしがジャニーズにハマったきっかけとしては、小学生の頃、友だちの影響だった。
(基本的にジャニヲタは「親が元々ジャニヲタだったから小さい頃からコンサートに連れてかれてた」という話をよく耳にするし、それがきっかけで自分も自然とヲタクに…というパターンが多いらしいが、わたしの親は全く男性アイドルというものには興味がなかった。)
新しいクラスで仲良くなった友だちAちゃんが山Pのファンだった。
放課後Aちゃんの家に遊びに行くと、まずリビングで録画してあるザ 少年倶楽部を見て、その後Aちゃんの部屋でMyojoを開き、パソコンのある部屋に移動してNEWSのPV(時代的にあえてこの言い方をしたい)をとにかく再生していた。
この頃はまだ自分の意思でと言うよりはただただ “見せられている ”状態だったので、上記のようななんとかTubeに載っているNEWSのPVが “ 公式 ”ではないことは微塵も考えていなかったが、たしかに当時はCDを買ったところでそのCDに付いてくるDVDにPVは収録されていなかったので、なんとかTubeかカラオケでしかPVを見る方法はなかったと思う。(他のグループは知らないけど)
そんな感じの放課後が頻繁に続き、それまでジャニーズとは無縁だったわたしも次第にジャニヲタの沼へと足を踏み入れていくことになる。
初めての担当
みんなそれぞれかっこよかったので、いざ “ 1番好きな人 ” を決めようと思っても正直決め難かったのだけど、とりあえずじゃあなんか好きかも〜〜と思った手越くんにした。
そこからなんかふわっとした手越担としての人生が始まった。
かといって小学生の生活に何か変化があるわけでもなく、いつも通りAちゃんとNEWSの話をしたりDVDを一緒に見たりする日々だった。
それから1年半ぐらい経った頃、なんと友だちBちゃんも山Pが好きということを知り、さらには今度のツアーに行くとのことだったので、ツアーグッズを買ってきてもらえることになった。
当時は地方の小学生なので行動範囲も狭く、ジャニショに行くなどのことはできなかったので、雑貨屋に売ってる所謂非公式のポスター(雑誌拡大コピーしてラミネートしてあるだけのやつ)とかキーホルダー(のちに筆箱に大量につけるやつ)とかをちまちまと買ってた。
今思えば金の無駄すぎるけど。
そしてBちゃんに手越くんのポスターとうちわを買ってきてもらい部屋に飾った。初めての公式グッズだった。
早くも担降りの時
そこから順調にジャニヲタとしての日々を歩み出していたわたしは、友だちとの交換日記で自分の番のときに切り抜きを貼りまくったりなどしながら、人生初のファンクラブに入会し、ジャニーズコンサートに行くことになった。
初めてのコンサートは
テゴマス 1st LIVE TOUR 2009〜テゴマスのうた〜
だった。
本当はNEWSのコンサートに行きたかったが、その年NEWSのコンサートツアーは行われなかった。
チケットの半券や当時のプリクラ、切り抜き、CDなどは後にくるヲタ卒+引越しのタイミングで処分してしまったのだけど、唯一残っていたものがあったのでここに記す。
↑のちに古株の友だちに「わたしは黒色だった」と言われ、一定の会員番号ごとに色が違うことに驚いた。
さて、テゴマスのコンサート自体は楽しかったのだけど、その後雑誌やテレビ、コンサートDVDを見たりするうちに当時副担としていた錦戸くんのことがより好きになってしまい、そのまま結局錦戸担当になった。
錦戸担になったわたしは関ジャニ∞のこともあれやこれやと調べるようになり、次第に関ジャニ∞のことも気になるようになっていた。
(逆に錦戸担でNEWS出の人っているのか???と今となっては思う)
そういえばこの頃あたりに、シングルにつくDVDにPVが収録され始めた。確か急上Showとか……そういえば抽選のストラップ欲しかったな。当たらなかったけど。
すると上の学年(姉の友達)に大倉担の子がいたので仲良くなり、そのままズルズルと関ジャニ∞にハマっていった。
その子が関ジャニ∞の単独カウコンに行くと言うので、ご厚意でグッズを買ってきてもらったりもした。
そして翌年、ついにNEWSのコンサートに行くことになった。
当時はほぼ気持ちが関ジャニ∞に向いていたから関ジャニ∞のコンサートに申し込むんだと決めていたのでNEWSのコンサートには申し込まなかったのだけど、
pepsで作ったホムペで知り合ったヲタ友が譲ってくれることになり、参戦が決まった。
生まれて初めて親無しでの遠出だったので心配性の親が終演後迎えに来てくれた。
NEWS DOME PARTY 2010 LIVE! LIVE! LIVE!
テゴマスの時は右も左も分からず手ぶらで見に行ったのだけど、この時初めてうちわとペンライトを持ってコンサートを見た。
数年後、別の人のファンになっても「四季魂のエンドレスサマーの大サビマジで最高だよね」と友だちと話すぐらい大好きなコンサートになった。そのときの白シャツに尻尾みたいなファーぶら下げてる衣装も好きだったな。
これが “ NEWSの錦戸亮 ” 見納めだとはさすがに思っていなかったけど。
結局、関ジャニ∞への熱は上がる一方で ほどなくしてeighterとなった。
ホムペで今で言う「各1」制度で友だちを募り、全担当分はなかなか集まらなかったので集まった計5人で遊びに行ったりご飯を食べたり。今となっては恥ずかしいグループ名をつけたりもした。
これは余談だけど、NEWSファンだった小学生の時、ホムペの掲示板で話している時に“NEWSer”という言葉を使ったことがある。
どこか他のホムペで見かけた言葉だったのだけど、まだヲタクになりきれていなかった自分はそれがNEWSのファンの呼称だと思って使ったら、その時話していた子が「NEWSerってあまり使わないほうがいいかも(><)NEWSのファンはNEWS嬢だよ!」と優しく教えてくれた。ヲタクはこうして知識を身に付け成長していくのだと学んだ。ありがとうあの時のヲタ友。
関ジャニ∞の初めてのコンサートは8UPPERSだった。
じきにグループの一人が相方になり、その後ツアーや∞祭に一緒に入るようになった。
すごはち は当選したけど当時年齢がギリギリ×だったので親と入った。
8ESTには唯一苦い思い出があって、入る予定だったスタジアムでの公演が台風で中止になり、背中にデカデカと担当の苗字をプリントしたパーカーを着れずに終わったこともあった。
8ESTドームのオーラス、最後の挨拶で錦戸くんが「8人」という言葉を発した時、一緒に入ったデビュー前からの錦戸担が泣き崩れ、背中をさすってあげたりもした。
とにかくeighter時代は本当に楽しかったし、ホムペからツイッターが主流になってヲタ友の輪も広がったり、メルマガよりも情報収集がしやすくなったり。
でも今みたいな映え!マウント!!みたいな風潮はなかったので、「自担を好きなわたしが好き♡」という感覚は特になく純粋に自担が好き!!!だけでヲタ活ができていた気がする。
自分はしがない田舎の中高生だし当たったチケットや友だちが譲ってくれるチケットでツアー数回入るぐらいの財力皆無ヲタクだったので、現場全ステ!良席しか無理!なガッツヲタク間では今のようなマウント合戦もあったのかもしれないけど。
ただツイッターで仲良くなった子も相方もみんな数個年上でデビュー前からの古株ではあったものの、わたしのような新規にも対等に接してくれたので、新規とは仲良くなれませんみたいな人の割合も今より少なかったかもしれない。
(今の“ 声デカ新規 ”が煙たがられる理由もものすごくわかるけれども)
一生eighterだと思ってた
時は2013~2014年。
高校二年生だった。突然中学校の友だちCちゃん(嵐担)がこんな連絡をしてきた。
「たしか中島健人好きだよね?」
???????????
あまりに突然すぎてなぜそうなった???という気持ちは拭えなかったが、「かっこいいよね」と当たり障りのない返事をした。
するとCちゃんが映画を見に行こうと誘ってくれた。
関ジャニ∞は相変わらず好きではあったものの、自分の中でのマンネリ化も感じていて、数年前の楽しー!!最高ー!!という気持ちも随分落ち着いてしまっていることにも気づいていたので、気分転換も兼ねて映画に行くことにした。
劇場版BAD BOYS J―最後に守るもの―
Cちゃんは最近中島健人くんが好きとのことで、同士が周りにいないから誘ってくれたらしい。(わたしが中島健人くんを担当ではなくとも好きだと思っているので)
見終わったあと、わたしは数年ぶりに新規ハイのような高ぶりを感じていた。
家に帰ってからもツイッターやプリ画像でBBJの画像を探して保存しまくったり、関ジャニ∞のために買っていた雑誌も見ていなかったページをひたすら開きまくったりした。
そしてドラマBBJも一気に見た。
(なので映画を見た時はイマイチ話が分からなかった)(当たり前)
流れるように相方ちゃんにも相談した。
「わたし担降りするかも」と。
その時短期間だけ頑張って続けていた日記にも、わたしはこんなことを書いていた。
今日は○○ちゃんと△△にBBJ見に行ってきた!ヒロ様かっこよすぎ(>_<)♡♡♡♡♡♡ヤバい(>_<)(>_<)!!!!!!
こうして、終わるはずのない永遠だと思っていたeighterとしての自分に別れを告げ、わたしの新たなヲタク人生が始まる。